10数年ぶりくらいにネット上で長文を書く
久しぶりに、また日記的なものを書きたくなった。
どうしてまた再び、日記なんてものを書こうという気になったのか。
20年くらい前、初めてネット上で日記を書いた。
あれは「さるさる日記」というサービスだった。
ネットがまだそれほど一般的ではなく、無論スマホなんてものはなく、ともすればネットをしている=パソコンオタクと揶揄されるような、そんな時代だ。
別に誰かに見せたいわけではなく、かといって誰にも見られたくないわけでもなく、そんなような、「見せたいわけじゃないけどでも見て」というような感覚でweb上のサービスを使ってみたのだった。
2年くらい続けていたと思う。
内容は本当に日記であり、雑文であり、誰かの役に立つ情報など1バイトもなかった。
でも当時は、僕の感覚では、ネット上でのメインコンテンツは、まだまだ個人のHPや日記サイトなど、主観的・趣味的なサイトが多勢だったと思う。
そのせいか、内容が極めて個人的なものではありながら、それなりに読者がいたり、PVがあったり(読者と言っても数十人レベルだが)、当時好きだった女の子とのやりとりを日々綴った、今思えばなんとも恥ずかしい記事群が面白いと、わざわざメールをくれる人がいたりした。
とにかく当時は、無名の個人が書いたものに誰かが反応してくれるということが、全く新鮮で嬉しいことだったのだ。
すげえ。インターネットってすげえ。
もちろんそれまでにはパソコン通信や掲示板がすでに存在していたので、パソコンを介して他人とやりとりをすること自体はできていたわけだし、HPを持っている人はおそらくもうそういう体験はしていたとは思うが、単なるメッセージのやりとりではなく、自分が書いた駄文に反応が返ってくる、という体験は、HTMLなぞ使えない僕にとっては、それが初めてであり、衝撃だったのだ。
その後ブログというものが登場した。
さるさる日記では、他人とのやりとりはメールくらいしかなかったと思うが、なんとブログは、記事にコメントがつけられる。おまけに他の人が書いたブログ記事を引用したり、自分の記事が引用されたりするというトラックバックという機能がある。
すげえ。インターネットってすげえ。
今ではコメントなど当たり前すぎるほど当たり前だし、引用も日常茶飯事だ。だが繰り返しにはなるが、当時は衝撃だったのだ。
なお当時は、ブログで稼ぐとか、収益化とか、そういうことはあんまり、というかほとんど意識されていなかったように思う。
アフィリエイトなんかも、ブログが広まってきたばかりのころは、一般的じゃなかったように記憶している。
それから、なんとなく書きたいことも無くなってきたこともあってブログは更新しなくなり、mixiを始めたり、ツイッターを始めたりしたけれども、結局SNSは長続きしなかった。ツイッターのアカウントも数年ログインしていない。
で、現在。
どうも僕は、ネット上で他人とコミュニケーションを取ることよりも、頭の中にあることをひとり黙々と文章にすることのほうに重きを置いているようだ。
140字という制限の中ではなく、無制限にだらだらと垂れ流したい。
書くことによって頭の中をいくばくかでも整理し、すっきりさせたい。
そういう欲求のほうが強く、今またその欲求がふつふつと湧き上がってきたということなのだ、たぶん。
文章を書いていると、何かこう、気持ちがいい。
自分の思考なり妄想なりを、できる限り客観的に筋道立てて文章化することで、なにか満たされるような気がする。
頭の中を片付けて、掃除して、きれいにする。
意味なんてない。10年経っても僕は別に有益な情報を持っているわけでもなく、面白いネタも、スキルも持っているわけではない。今の時代、有用なコンテンツとはならないとわかっている文章を書くことに、そこに時間を割くことになんの意味があるというのだろう。
だからこれは、単なる欲求のはけ口でしかない。
つまり、書きたくなったから書く。
まとめるとこうだ。
Q:どうしてまた、日記なんてものを書こうという気になったのか。
A:書きたくなったから書く。
たった2行で済む話を、しかもトートロジーな話を、こうもだらだらだらだらと書くわけだから、まあなんというか、そういうことなのだ。どういうことだ。