YouTube大学で履修登録。

今更な話をしたいと思う。

 

中田敦彦YouTube大学を観始めた。

食卓の上にタブレットを設置し、食事のたびに見ている。

きっかけは、経済について学びたいと改めて思ったことだった。

正直、経済って難しい、という苦手意識しかない。

それでも、大人だしー、あーなんか、やっぱり、勉強しておかなきゃだよねーと、学生の頃からそう思っては勉強するものの、途中で投げ出し、それでもまた本を買って読んでみるも、なんたら指数だの曲線がシフトするだの、なんか数学っぽい話しているし、あーもういいわってなっていたのだが、もういいかげん、おっさんだし、お金のこと考えなきゃいけないし、なにかもう自分のことは自分でやって!という時代だし、お金やら投資やら経済やらのことに半ば強制的に踏み込ませられている感もあり、じゃーまーとりあえず動画でサクッと…などというぬるい動機でクリックしたのが、You Tube大学だったのだ。

それまでにも、フェルミ漫画大学なんかも聴講していたりするので、それでレコメンドに出てきたのかな。

こちらはこちらで面白い。

 

まだエクストリーム現代社会編(?)ばかりではあるが、めちゃくちゃ面白い。

面白い上に勉強になる。

なぜ今まで見なかったのだろう。

 

存在は知っていた。

会社の人からも

You Tube大学面白いよ」

と言われていたのに、それでも見ていなかった。

 

なぜか。

 

中田敦彦だったからだ。

 

どういうことか。

オリエンタルラジオのことは知っている。

よく知っているわけではないけれど、武勇伝は面白い。パーフェクトヒューマンも面白い。

でもそれくらいしか知らない。

その程度しか彼らを知らず、その程度の知識に基づいてオリエンタルラジオに対して持っていた浅はかなイメージが、僕をYou Tube大学から遠ざけていた。

 

オリエンタルラジオはチャラい。

 

僕が持っていたイメージは、それだった。

チャラい芸人がなにか教育的なコンテンツを出している。

ネタとしてではなく、なにかこう、チャラい芸人としての立場をロンダリングして、文化人的な立ち位置に行こうとしているのではないか。文化人なんてさ、どうなんだよそれ。

それ絶対、薄っぺらいでしょう。

 

それが僕の感想だった。

実際に動画を見るまでは。

 

本当にごめんなさい。

 

薄っぺらくないです。

むしろ極厚です。

勉強になる上にめちゃくちゃ面白いです。

 

なんということだろう。

こんな人だったのか中田敦彦

よく勉強しているし、説明うまいし、途中に笑いを挟めるし、それでいて嫌味がないし。

いやていうかシンガポールに住んでるのか。

芸人としての立場をロンダリング

いやいや、そういう僕の発想こそが薄っぺらいじゃないか。

 

僕はテレビを見なくなって10年くらい経つけれど、もうやっぱり、ネット、かなあ。

昔はね、テレビ面白かったよ。

教養番組も面白かったよ。

でもそれは、マスメディアの流す情報を信じていれば、それで幸せに暮らせていたという時代背景があったからこそかもしれない。

 

僕が見た動画は、中田敦彦自身がゼロから生み出したコンテンツというわけではなく、元になる本があって、それを要約し、項目立てて、自身の経験なども加味して解説したものだ。

だけれども、本の要約って、普通しないじゃない。線すら引かない。大昔、齋藤孝三色ボールペン読書術とかいうのが流行ったけれども、最初の頃ちょちょっとやってみるけれど、やらなくなるでしょう。いや、僕だけかもしれないけれども、少なくとも僕は、面倒くさくなってすぐやめた。

読んだらそれで終いじゃない、普通は。

しかも、それを他人に、わかりやすく、しかも面白く伝えるって、大変だ。

すげえよ中田敦彦

 

あっちゃんかっこいい、ペケポン。

10数年ぶりくらいにネット上で長文を書く

久しぶりに、また日記的なものを書きたくなった。

どうしてまた再び、日記なんてものを書こうという気になったのか。

 

20年くらい前、初めてネット上で日記を書いた。

あれは「さるさる日記」というサービスだった。

ネットがまだそれほど一般的ではなく、無論スマホなんてものはなく、ともすればネットをしている=パソコンオタクと揶揄されるような、そんな時代だ。

別に誰かに見せたいわけではなく、かといって誰にも見られたくないわけでもなく、そんなような、「見せたいわけじゃないけどでも見て」というような感覚でweb上のサービスを使ってみたのだった。

2年くらい続けていたと思う。

内容は本当に日記であり、雑文であり、誰かの役に立つ情報など1バイトもなかった。

でも当時は、僕の感覚では、ネット上でのメインコンテンツは、まだまだ個人のHPや日記サイトなど、主観的・趣味的なサイトが多勢だったと思う。

そのせいか、内容が極めて個人的なものではありながら、それなりに読者がいたり、PVがあったり(読者と言っても数十人レベルだが)、当時好きだった女の子とのやりとりを日々綴った、今思えばなんとも恥ずかしい記事群が面白いと、わざわざメールをくれる人がいたりした。

とにかく当時は、無名の個人が書いたものに誰かが反応してくれるということが、全く新鮮で嬉しいことだったのだ。

 

すげえ。インターネットってすげえ。

 

もちろんそれまでにはパソコン通信掲示板がすでに存在していたので、パソコンを介して他人とやりとりをすること自体はできていたわけだし、HPを持っている人はおそらくもうそういう体験はしていたとは思うが、単なるメッセージのやりとりではなく、自分が書いた駄文に反応が返ってくる、という体験は、HTMLなぞ使えない僕にとっては、それが初めてであり、衝撃だったのだ。

 

その後ブログというものが登場した。

僕はさるさる日記から、エキサイトブログへ移った。

さるさる日記では、他人とのやりとりはメールくらいしかなかったと思うが、なんとブログは、記事にコメントがつけられる。おまけに他の人が書いたブログ記事を引用したり、自分の記事が引用されたりするというトラックバックという機能がある。

 

すげえ。インターネットってすげえ。

 

今ではコメントなど当たり前すぎるほど当たり前だし、引用も日常茶飯事だ。だが繰り返しにはなるが、当時は衝撃だったのだ。

なお当時は、ブログで稼ぐとか、収益化とか、そういうことはあんまり、というかほとんど意識されていなかったように思う。

アフィリエイトなんかも、ブログが広まってきたばかりのころは、一般的じゃなかったように記憶している。

 

それから、なんとなく書きたいことも無くなってきたこともあってブログは更新しなくなり、mixiを始めたり、ツイッターを始めたりしたけれども、結局SNSは長続きしなかった。ツイッターのアカウントも数年ログインしていない。

 

で、現在。

どうも僕は、ネット上で他人とコミュニケーションを取ることよりも、頭の中にあることをひとり黙々と文章にすることのほうに重きを置いているようだ。

140字という制限の中ではなく、無制限にだらだらと垂れ流したい。

書くことによって頭の中をいくばくかでも整理し、すっきりさせたい。

そういう欲求のほうが強く、今またその欲求がふつふつと湧き上がってきたということなのだ、たぶん。

文章を書いていると、何かこう、気持ちがいい。

自分の思考なり妄想なりを、できる限り客観的に筋道立てて文章化することで、なにか満たされるような気がする。

頭の中を片付けて、掃除して、きれいにする。

意味なんてない。10年経っても僕は別に有益な情報を持っているわけでもなく、面白いネタも、スキルも持っているわけではない。今の時代、有用なコンテンツとはならないとわかっている文章を書くことに、そこに時間を割くことになんの意味があるというのだろう。

だからこれは、単なる欲求のはけ口でしかない。

つまり、書きたくなったから書く。

 

まとめるとこうだ。

 

Q:どうしてまた、日記なんてものを書こうという気になったのか。

A:書きたくなったから書く。

 

たった2行で済む話を、しかもトートロジーな話を、こうもだらだらだらだらと書くわけだから、まあなんというか、そういうことなのだ。どういうことだ。